ログインするとリマインドメールが使えるYO!


新着情報

INFORMATION

2021年11月24日(水)

《ぴあ×チャンネルNECO》強力コラボ 【やっぱりNECOが好き!】更新しました!

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第131弾!!
さまざまな主演作からひもとく、渡哲也という名優の姿。

まだ、記憶に新しい──というか、この希有なアクターへの思いは永遠に特別だ。昨年(=2020年)、惜しくも渡哲也は天に召されたわけだが、映画・チャンネルNECOもきっとそう感じているのだろう。「生誕80年渡哲也 特集」と銘打って、「東京流れ者」(‘66)、「続 東京流れ者 海は真赤な恋の色」(‘66)、「愛と死の記録」(‘66)、「荒い海(短縮版)」(‘69)の4本を放送する。

早速順に見てみよう。鈴木清順監督の「東京流れ者」では“不死鳥の哲”こと本堂哲也役。組が解散し、カタギとなるも対抗組織とのいざこざで東京を追われ、各地をさすらった末に再び東京に戻って全てのカタをつけようとする。早い話が任侠映画でよくある抗争劇の一種だが、そこは後に“大正浪漫三部作”=「ツィゴイネルワイゼン」(‘80)、「陽炎座」(‘81)、「夢二」(‘91)を発表し、それらが「清順流フィルム歌舞伎」とも称された奇才だ。日活時代から尖鋭的な美術セット、目を引く色彩遊戯がここでも顕著で、ほとんどポップアートの域に達しているのであった。

ゆえに、海外でも有名な日本映画は数あれど、熱狂的に愛され続けている作品で(英題は「Tokyo Drifter」)、例えばクリエーター陣では侯孝賢、ジム・ジャームッシュ、ウォン・カーウァイ、クエンティン・タランティーノ、ニコラス・ウィンディング・レフン、パク・チャヌクらを狂喜させ、デイミアン・チャゼル監督も「ラ・ラ・ランド」(‘17)で来日した際、自作への影響を告白していた。すなわち歌謡アクション「東京流れ者」は変形ミュージカルの側面もあり、渡哲也はオープニング並びに劇中で、ガンアクションのみならず同名主題歌をさまざまな趣向で披露しているのである。

つまり、日活の“歌うスター”という伝統を引き継いだ選ばれし存在。’65年、「あばれ騎士道」で役者デビューし、3作目「真紅な海が呼んでるぜ」(‘65)の主題歌「純愛のブルース」でレコードデビューも果たしていた。「東京流れ者」は8本目の映画で、まだまだ初々しさに加えて独特の哀愁も漂わせ、そして、彼のトレードマークとなる「生一本で硬派な風情」を横溢(おういつ)させている。本堂哲也という役名は同じだが、通り名が“フェニックスの哲”に変わった「続 東京流れ者〜」でも渡の主題歌は聴くことができ、こちらはサブタイトルと一緒の「海は真赤な恋の色」、挿入歌として「東京流れ者」も流れる(前作とは別バージョンも!)。監督は日活青春映画の名手・森永健次郎なのでアクションよりドラマ部分にやや比重が置かれ、一時的にスーツを脱ぎ、カタギになろうとして酒造会社で働く哲=当時25歳の“素”を思わせる渡哲也の姿がすこぶる印象的だ。

名匠・蔵原惟繕監督が手掛けた「愛と死の記録」は、「東京流れ者」と「続 東京流れ者〜」の間に公開された初の文芸作にして、吉永小百合との初共演作。吉永との名コンビ、浜田光夫のけがのため抜てきされた形であったが、原爆孤児で被爆の後遺症に苦しみ、入院してからは病魔と闘う“三原幸雄”という青年を捨て身で、真摯(しんし)に演じ上げた。撮影前、蔵原監督が渡と吉永を原爆ドーム、広島平和記念公園などへと案内し、クランクイン後は2人に念入りのリハーサルを施したたまものでもあるが、この作品で彼は確実に表現者として前進したのだ。

ちなみに、デビュー作「あばれ騎士道」の役名が“哲也”で、「東京流れ者」「続 東京流れ者〜」はそれ以来の“哲也”役。第1期・渡哲也のキャリアが終わり、次回作「嵐を呼ぶ男」(‘66)からは尊敬する大先輩、石原裕次郎のリメイク作に断続的にチャレンジしてゆく。「星よ嘆くな 勝利の男」(‘67)、「陽のあたる坂道」(‘67)と来て、逃亡中の殺し屋・杉浦五郎に扮(ふん)した「紅の流れ星」(‘67)の、明るいペシミストぶりで新境地を開拓。さらに独自路線を生み出し「無頼」シリーズ全6作(‘68〜‘69)では気骨に満ちた一匹狼のヤクザ者、“人斬り五郎”こと藤川五郎役で来たる日活ニューアクションの先鞭(せんべん)をつけていった。

そうして「五郎の時代」を歩みながら、一方、真逆の役柄で主演を務めたのが南氷洋にロケを敢行、捕鯨を扱った海洋大作ムービー「荒い海~」だ。山崎徳次郎監督が日活退社後に自ら真珠舎を創設、日活配給のもと、生涯最後に放った映画である。現存するフィルムは、海外上映用に再編集された(しかし貴重な)短縮版(2時間10分)で、渡は学生運動で大学を停学になり、自分の人生を見つめ直す中、友人の勧めで南氷洋捕鯨船に乗り込む北見洋二役。厳しい海原と対峙(たいじ)しつつ巨大な鯨を追う日々や、船団員の男たちとの共闘生活は、彼が後年、石原プロモーションで見せた軌跡を想起させる。そもそもこの映画自体、先達の石原裕次郎が主演、製作も兼ねた「黒部の太陽」(‘68)で切り開いた“プロジェクトX”映画路線の継承を感じさせるのだ。

‘66〜’69年にかけての「東京流れ者」「愛と死の記録」「続 東京流れ者 海は真赤な恋の色」「荒い海」を観ると、会社の時々の要請に応えつつ、根っからのスターとして変わらぬ閃光を放ち続けた渡哲也と出会うことができる。このあと彼は、1971年に袂を分かつことになる日活時代の最終コーナーへと差し掛かっていくのだが、それはまた、別の話であろう。


轟夕起夫(ライター)

ページの先頭へ


ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第130弾!!
猛毒を吐きながらエールで落とす中高年のアイドルは、古希を迎えてますます意気軒高!

「膝をコキコキと鳴らしながら、がんばっております」。古希を迎えてますます快調な綾小路きみまろが、さまざまな企画でハッスルしまくる「綾小路きみまろTV」。注目したいのはゲストの顔触れ。第1回の香取慎吾を皮切りに綾小路 翔(氣志團)や純烈、浅田真央、果ては大女優・吉永小百合まで。「他ならぬ、きみまろさんの番組なので」とやって来る著名人たちは、王道を行かないチャンネルNECOの番組とは思えぬ超豪華なメンツなのだ。

そんな「綾小路きみまろTV」だが、第3回「きみまろ寄席」をもって、12月でレギュラー放送はいったん終了となる。「きみまろ寄席」は歌あり笑いありの大人気企画。ポイントはとにかくきみまろが「出てほしい!」と願い、オファーした人のみが出演すること。これまでも弘田三枝子や宮路オサム、冠二郎といった往年のスターや、カミナリをはじめとしたきみまろイチオシの漫才師など、数々の人気者がステージに上がった。

コロナ禍ということで第2回からはずいぶん間が空いてしまったが、ようやく第3回開催の運びとなり、きみまろのテンションも上がりっぱなし! 舞台はおなじみの浅草・東洋館。今回も超豪華布陣でお届けする。まずは華やかな歌のゲスト、あべ静江と平山みき。2人とも下積み時代のきみまろが憧れていた昭和のディーバだ。芸人部門は動物モノマネの江戸家小猫、コミックソングの帝王・ベートーベン鈴木、そして出場を懸けたオーディションを勝ち抜いたダブルネームという面々。

筆者は収録当日の東洋館へリハーサル段階から潜入した。ほとんどの出演者が観客を前にしての舞台は久しぶりということでナーバスに。しかし、きみまろが現れると場の空気が一変し、ふわっと柔らかくなった。特にダブルネームは「東洋館でウケたことがないんですよ…」と顔をこわばらせていたが、きみまろは「大丈夫。受けなかったら客が悪いと思えばいい」とアドバイス。これで気持ちがほぐれたのか、「後輩たちにも今の師匠の言葉、伝えておきます」と笑い崩れた。

感染対策が徹底された中で集まった観客は、歌姫たちの美声に酔いしれ、限られた持ち時間の中で奮闘する芸人たちに爆笑する。トリを務めるのは、もちろん我らがきみまろ。小手調べに前列の客をいじりまくり、つかみはOK!

出会ったころの女房は食べたくなるくらいかわいかった。
あれから40年————。
あのとき食べておけばよかった!

満足そうな笑顔で東洋館を後にするお客さんを見て、きみまろの“すごみ”を再確認。猛毒を吐きながらも最後はエールで落とし、癒やしまで与える。そんな芸人、きみまろ以外に見当たらないもの。中高年のアイドルは、古希を迎えてさらに輝きを増している。「きみまろ寄席」第4回も、気長に待っております。


奈良崎コロスケ(ライター)

ページの先頭へ


2021.9.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第129弾!!
消防士としてのプライドをへし折った、痛烈な敗北の記録

昨年、沖縄テレビ放送で製作・放送されたドキュメンタリー番組「1031首里城の消防士たち~いま明かされる火災の真実~」が、映画・チャンネルNECOでCS初放送される。

沖縄テレビ放送(OTV)はフジテレビ系列の地方局。民放ローカルで作った番組は、賞を受賞するなどの機会がないとなかなか全国ネットにはのぼらない。放送できたとしても深夜枠になる場合が多い。その点、CSの専門チャンネルならば見たい層にしっかり届く。作り手としてもかいがある―これは東海テレビ放送のドキュメンタリーで名をはせている阿武野勝彦プロデューサーに、数年前に取材した時に聞いていた話だ。以来、民放ローカルとCSの間には、いい関係が定着していると思う。こうしてまさに「1031首里城の消防士たち〜」のような、地方局のハートがぎっしり詰まり、全国向けに味が薄まっていないものを見ることができる。

‘19年10月31日に発生した首里城の火災。消火活動にあたった消防士たちが全精力を傾けたにもかかわらず、正殿・南殿・北殿などが全焼にいたる結果に終わった。その間、現場は一体どんな状況だったのか。火災の規模がいかに恐ろしいものだったのかを、時系列の検証にこだわった構成と消防士の証言によって解き明かすドキュメンタリー番組だ。

当日は全ての全国紙が一面トップで伝え(コンビニに行って全紙買ったので覚えている)、TV各局も報じた。しかし、「沖縄で大変なことが起きました!」と他県の人間が伝えるのと、「首里城が—沖縄本島の文化や歴史を代表するモニュメントが、日々、当たり前のように目にしてきた生活の一部が—焼けました…」と自分の痛みとして伝えるのでは、同じ内容でも感情が違う。この作品からは、その違いがヒタヒタと伝わってくるのだ。

番組を見ていて、涙が出たのは久しぶりだった。

僕は本業が構成作家なので、何を見ても参考になるところを探すクセが付いているし、たまに仕事をもらう映画ライターの目で見ても、姿勢はスポーツでいう審判に近くなる。自分好みの面白さだった、だから高得点という評価の仕方は自分のエゴに基づくもので、かえって作り手に対して失礼になる、と戒める気持ちがどうしても強い。つまり、どんなエモい演出や仕掛けに対しても、そうそう簡単には涙腺が壊れにくくなっている。

では、なぜ涙が出たのか。共感? いや、それはない。関東に住んでいる身でも報道を知ってズシンと胃袋にショックがあった首里城全焼。文字通りに必死の消火活動にあたった消防士たちの証言は聞いていて息苦しくなるほどで、尊敬こそすれど「分かる~」と思える余地はない。

では、その消防士たちの極限状態での奮闘に対する感動か? これはほとんど、そうだ。深夜の火災現場が首里城と知った時の驚きと緊張(複数人が、聞いた瞬間に耳を疑ったと証言している)。火災の規模が大きくなるにつれ、どんどん消火活動が困難になっていく恐ろしさ。1,000度近いという、ホースから放出された水が火にかかる前に蒸発するほどの熱に囲まれ、「殉職」という言葉が頭をよぎりながらも、今できる作業を休むことなく選択し続けた姿には震えがくる。

しかし、そのがんばりによって火を消すことができた、わけではない。全焼という最悪の結果が待っている。登場する消防士の多くが、きっと日々の訓練やトレーニングの合間に「バックドラフト」(’91)を何度も見てきただろう、と想像する。漫画「め組の大吾」(’95〜’99)を少年時代に読んで将来を決めた人だって、少なからずいるだろう。そんな男たちが、自分の街の城が炎の中に崩れ落ちるのを眼前で見ることしかできない、痛烈な敗北のストーリーなのだ。

だから、番組を見ていて涙が出たというのは、見ていてこんなに悔しい、つらい思いが響いてくるドキュメンタリーを久しぶりに見た、とほぼイコールだ。悔し泣きも共感、感動のうちだと言われたら、そうかもしれないが。

強調しておきたいのはこの番組の作り手の、時系列にこだわった高度な判断と節度だ。火災発生から全焼に至るまでを時系列で追うとは、実証主義にのっとっているという意味でもある。イメージや再現は必要最小限に抑え、城内の防犯カメラと、現状報告のために消防士がまわしていたビデオで大半の火災現場の場面が成り立っている。

火災発生から始まり、刻一刻と事態が変わるから、首里城が燃えていく痛ましさをことさらに強調する暇がない。これが全国放送の番組なら、首里城がいかに那覇市民、沖縄県民に愛されてきた場所でありモニュメントであったか…の説明に、どうしても前半で時間を使うことが必要になり、そのぶんウェットになっていたところだ。そこがないから、優れたノンフィクションを読むように引きずり込まれる。同時に、輻射熱、フラッシュオーバーといった火災現象の怖さは科学的に紹介し(そこだけあえて時系列から離れる)、首里城の火災が消防士たちの限界を超える、異例中の異例の規模だったことを伝えている。ここには、消防士たちは決して手をこまねいたまま城が燃えるのを見ていたわけではない、と知らしめたい名誉回復の思いがある。

夜明けが近づくにつれ、遠くから炎を見守る市民の姿が増えていく。人々のぼうぜんとなった様子から、今、失われつつあるものの存在の大きさが見えてくる。しかし、日が昇った時には、その大きなものが煙の中で消えている。

80年代から始まった再建計画のもと、完成したばかりの首里城を、僕も’92年の秋に見ている。学校を出た後の助手仕事で、八重山の島々をまわって歴史物のリサーチをしたすぐ後だった。正直なところ、昔は為政者だった琉球王朝の復元された城をどうしても見たいという気にはなれなかったのだが、親切な那覇の人に「いいからいいから、一度は見ておきなさい」と連れていかれた。確かに、高台に建つ朱い城は立派だった。だが、そこにカタチとして復元した以上のさまざまな思いが込められていたことまではつかみきれなかった。全焼のニュースで、初めてハッとさせられたところが僕にもあるのだ。

番組の中でも触れている通り、出火の原因は特定できないままになっている。その後、景観上の理由でスプリンクラーなどの自動消火設備を置いていなかったことが強く指摘され、文化財およびそれに匹敵する価値の建造物の防災をどこまで徹底させるかは、全国的な、広い議論になった。今年の8月には、沖縄県から施設の運営を委託されていた指定管理者に全焼の責任があるとして、指定管理者への約2億円の損害賠償請求を県に求める住民訴訟が起きている。

こうしたほろ苦い後日譚も、次の首里城火災が起きないための教訓となってもらえればいいと思う。実際、共同通信の記事によると、3月に内閣府沖縄総合事務局・技術検討委員会がまとめた首里城復元の基本方針では、スプリンクラーや消防への自動通報装置の設置、消防の侵入を妨げない自動開錠の導入、外部からの放水管の埋設など、消防士たちの消火活動の足かせになっていた点がことごとく改善されている。今後の文化財防災対策の、一つの基準になっていくだろう。

それにしても…と、後半まで見ていくと、消防士のことが心配になる。当日を振り返る証言の中には、「無力感」「悔しさ」「(首里城全焼を止められなかったことへの)社会的な重圧」といった言葉が何度も出てくる。職業的なプライドを、これほど強くへし折られる経験はそうはないだろう。

「皆さん、どう克服していったのだろう?」と思ったタイミングで、消防士たちに宛てられた二つの手紙が紹介される。これは…ここに書くまい。ぜひ見てほしい。ともかく、ウェットにならないよう、ならないよう慎重にこの番組を組んできた作り手が、おしまい近くになったところで、二つの手紙を見せるのだ。

彼らは、全力を尽くしても首里城全焼を食い止められなかった。しかし見方を変えれば、その努力によって近隣の住宅地への延焼は免れた。ひらたく言えば、例え完敗を喫しても、がんばりを見てくれている人はいる、という話なのだ。

この番組を見て、将来は消防士になりたい、と思う子どもはきっといる。


若木康輔(ライター)

ページの先頭へ


2021.8.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第128弾!!
大きなインパクトを世に残した、角川映画の革新的な宣伝手法

‘76年の「犬神家の一族」を第1作に角川映画が誕生して45年。その歴史を振り返ると角川春樹が製作のトップに君臨していた「REX恐竜物語」(‘93)までと、それ以降で作品が分けられる。中でも角川映画が生んだ最大のスター・薬師丸ひろ子が最後に主演した「Wの悲劇」(‘84)公開までの8年間は、角川映画の黄金時代といえる。

今回放送される「人間の証明」(‘77)と「野性の証明」(‘78)は、角川映画の第2弾と第3弾。それだけでなく、映画を越えた社会的なムーブメントとしての角川映画を決定づけた作品でもあった。角川映画が画期的だったのは映画と原作本、音楽を連動させたメディア・ミックス戦略によって、各メディアのヒット作を誕生させたこと。その発端は本だった。

角川書店創業者の息子である角川春樹は、’71年に映画「ある愛の詩」(‘70)のノベライズ小説の版権を取得して出版し、これが100万部のベストセラーになった。その後も洋画のノベライズ小説はヒットし、彼は映画の原作が商売になると踏んだ。さらに角川書店の社長に就任した’75年、ATG(’61年に発足した日本の映画会社。非商業主義的な芸術作品を製作・配給した)で高林陽一監督による「本陣殺人事件」(‘75)が公開され、当時原作者・横溝正史の小説を25点文庫化していた角川書店は、これに合わせて〈横溝正史フェア〉を開催し、累計500万部を売り上げる。洋画でなくても映画の原作は売れる、これに目を付けた角川春樹は角川春樹事務所を立ち上げて映画製作に乗り出し、角川映画の第1弾として横溝原作の「犬神家の一族」を発表。同時に開催した〈横溝正史フェア〉は文庫40点が1800万部を売り上げる大ヒットになった。つまり角川映画は当初から、本と映画を連動させた形でスタートしたのである。

これに続く「人間の証明」は、さらに戦略的に企画された作品だった。原作は’75年に第3回角川小説賞を「人間の証明」で受賞した、ミステリー作家としては新鋭の森村誠一。すでに数十年のキャリアを持つ横溝正史ではなく、自社が抱える新進作家の作品を映画化することで、森村誠一を大々的に売り出すもくろみがあった。しかもこれを日本映画としては破格のスケールで製作。主演は若者の絶大な人気を集めていた松田優作を筆頭に、岡田茉莉子、鶴田浩二、三船敏郎などの豪華キャストをそろえ、さらにハリウッド・スターのジョージ・ケネディのキャスティングも実現した。ニューヨーク・ロケも敢行する大作で、話題作りのためにシナリオを一般から募集。これには669通の応募があり、結果としてプロの脚本家・松山善三の応募作が採用された。それまで無名だった原作と作家は、映画公開に向けて開催された〈森村誠一フェア〉によって瞬く間に誰もが知るところとなり、「人間の証明」の原作は500万部を売り上げてベストセラーに躍り出る。

またここから音楽もメディア・ミックス戦略に加わった。これもまた「ある愛の詩」が公開されたとき、フランシス・レイが作曲したテーマ曲がヒットしたことにインスピレーションを受けた、角川春樹の発想だった。「犬神家の一族」では大野雄二作曲のテーマ曲を前面に押し出したが、「人間の証明」ではジョー山中が歌う主題歌をメインに宣伝。物語のキーになる西条八十の詩を、英訳して歌詞にしたのはプロデューサーの角川春樹自身である。この歌が流れる〈森村誠一フェア〉と連動した映画の映像を、TVスポットとして大量に放送。西条八十の詩に登場し、劇中でも象徴的に描かれた、宙を舞う麦わら帽子の映像のバックに流れる主題歌は大ヒットした。この音楽と映像を組み合わせたTVスポットは、イメージ戦略として当時画期的で、その後の映画宣伝には同様のTVスポットが欠かせないものになっていった。

さて「人間の証明」の本編だが、これは東京のシティーホテルで黒人男性が刺殺され、彼が残した「キスミー」という謎の言葉が事件の鍵になるミステリー。被害者の出生の秘密に、戦後日本の悲しい歴史を絡ませた叙情的な作品になっている。興行的には22億5000万円の配給収入を挙げ、’77年の日本映画では第2位の大ヒット。これによって角川映画のメディア・ミックス戦略の有効性が実証され、すぐに同じく森村原作の「野性の証明」が作られることになった。

初期の角川映画は「犬神家の一族」のオールスターキャスト、「人間の証明」ではこれにニューヨーク・ロケが加わるなど、大作映画としてスケールを拡大させていったのが特徴。「野性の証明」では後半に登場する自衛隊の演習シーンとして、カリフォルニア州にある陸軍の訓練施設キャンプ・ロバーツがロケに使われ、トロッコでの追い掛けシーンはコロラド州の山奥アラモサで撮影されるなど、前作以上の規模でアメリカ・ロケが敢行された。この角川映画の大作路線は、主要キャストにハリウッド・スターを起用し、北南米から南極大陸まで縦断ロケを行った「復活の日」(‘80)で頂点を迎えることになる。

物語は元自衛隊の特殊部隊隊員の味沢と、彼が養女にした少女・頼子との関係を軸に、国家規模の陰謀に巻き込まれた味沢親子を描き出す。主人公の味沢を高倉健が演じたのをはじめ、中野良子、夏八木勲、松方弘樹、三國連太郎といったスターを配しているが、注目はヒロインの頼子を、一般オーディションで選んだことだ。1224人の応募があり、最終的に薬師丸ひろ子が選ばれた。彼女はある出来事が原因で記憶を失った少女という難役を、意志を感じさせる凛(りん)とした美しさをたたえて好演。これによって彼女はアイドル的人気を集め、映画から生まれた久々のスターとして角川映画の看板女優になっていく。それとともに角川映画は当初の大作路線とは別に、薬師丸ひろ子を中心に、後続した原田知世、渡辺典子の“角川3人娘”が主演するアイドル映画路線をもう一つの柱にしていった。

メディア・ミックスでは前年に続いて開催された〈森村誠一フェア〉によって、森村の文庫本は累計3000万部を超え、町田義人が歌った主題歌「戦士の休息」も大ヒット。興行的にも21億5000万円の配給収入でこの年日本映画の第1位に躍り出て、角川映画の勢いはさらに加速していった。

その後も角川映画は高木彬光の「白昼の死角」(‘79)、大藪春彦の「蘇える金狼」(‘79)、小松左京の「復活の日」(‘80)、山田風太郎の「魔界転生」(‘81)など、角川書店で文庫化された作家の原作を次々に映画化し、そのメディア・ミックス戦略によって映画界、出版界を巻き込んだ、一大ブームを作っていったのである。

今回の特集では映画版で松田優作が演じた棟居刑事に渡辺謙が扮(ふん)した「人間の証明2001」も放送されるが、「人間の証明」は他にも藤原竜也や竹野内豊が主演したドラマ版がその後作られている。この作品が時を超えてリメイクされてきたのは、それだけ角川映画版のインパクトが強烈だったという証明でもある。その原点の作品を見て、時代をけん引した角川映画の魅力を多くの人に知ってほしい。


金澤誠(ライター)

ページの先頭へ


バックナンバー





ご注意

お使いのAndroid標準ブラウザではこのサイトを閲覧することができません。
以下の推奨ブラウザをお使いください。