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2018年5月24日(木)

《ぴあ×チャンネルNECO》強力コラボ 【やっぱりNECOが好き!】 第80弾~第89弾

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第89弾!!
若き日の高畑勲と宮﨑駿のエバーグリーンな傑作!

昨年の6月12日に上野動物園で生まれ、一般公開されて以来、ジャイアントパンダのシャンシャンのブームは過熱するばかりだ。その生誕1周年を記念して、映画・チャンネルNECOでは3ヵ月にわたってパンダを大特集。シャンシャンの貴重映像が満載のオリジナル番組「大好き♥パンダのシャンシャン(全5回)」がお薦めだが、時代を超えた中編アニメ映画「パンダコパンダ」と「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」も見逃せない作品である。

さかのぼること’72年、日中国交正常化の道が開かれ、中国から友好の一環として2頭のパンダ、カンカンとランランが上野動物園へと寄贈され、初来日。日本中に空前のパンダブームが巻き起こった。そんな中、’72年12月に公開されたのが「パンダコパンダ」だ。演出を手掛けたのは、先日惜しくも亡くなった高畑勲で、盟友の宮﨑駿が原案、脚本、画面設定などを担当。作画監督には二人の作品に不可欠なアニメーター、大塚康生と小田部羊一も参加している。ほかのスタッフにも後年、著名となるクリエーターの名前を見つけられるのだが、この作品、東映動画(現・東映アニメーション)でキャリアをスタートさせた高畑・宮﨑・小田部の三人に当時、小さなお子さんがいて、「今の子どもに見せるべき漫画映画を作ろう!」と企画されたものだった。

ある日、留守番中の少女ミミ子の家に突如やってきたパンダの子ども“パンちゃん”と巨漢のお父さん“パパンダ”。すぐに仲良しになり、ミミ子が“ママ”となって、いきなり人間の言葉をしゃべるパンダとの不思議な共同生活が始まるや、一緒に学校へ行ったり、“パンちゃん”が迷子になって川に流されたり、フワフワとワクワクが同居した非日常の世界が描かれてゆく。翌’73年3月に公開された第2作「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」は、サーカスから抜け出してきた新キャラの“トラちゃん”も加わって、物語の活劇性がさらに増し、大雨がやがて洪水と化し、ミミ子たちの町は水の中へと沈んで大冒険が繰り広げられるのだ。

ちなみに、ミミ子の声をアテているのは杉山佳寿子。この作品の翌年、高畑勲が演出したTVアニメ「アルプスの少女ハイジ」(’74)で主人公のハイジを演じた声優界のレジェンドである。また、“パパンダ”のキャラクター造形があの「となりのトトロ」(’88)を、水の圧倒的な表現方法が「崖の上のポニョ」(’08)を彷彿(ほうふつ)させるだけでなく、後のさまざまな宮﨑アニメのエッセンスがそこかしこに見つけられるというのもポイント。実写では表現不可能なイマジネーションが隅々まで横溢(おういつ)した、愛すべき“世界遺産”と言えよう。

轟夕起夫(映画評論家)

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2018.04.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第88弾!!
巨大マグロと闘う漁師の姿に人生がにじむドキュメンタリー

「老人と海」という小説をご存知だろうか?
アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイが’51年に書いた短編小説だ。キューバの老漁師サンチャゴは独り漁へ出た。すると、竿に巨大なカジキが食い付く。あまりに巨大な敵との闘いは3日に及び、その間、サンチャゴは自分の人生を次々と思い起こしていく。闘いに勝ったサンチャゴだったが、あまりに大きいためカジキを船に乗せられず、船で引いて港に帰る。港に着くと、カジキは骨だけになっていた。海中でサメに食われてしまったのだ――。

まさに映画的な話。’58年にはジョン・スタージェス監督、名優スペンサー・トレイシー主演で映画化もされている。ところが、こんな話、実際の海にはいくらだってあるのだ!

4月30日(月)~5月4日(金)の特集「巨大マグロ&凄腕漁師 黄金週間」で放送される「洋上の激闘!巨大マグロ戦争2015~誇り高き挑戦者たち~」には、7つのドラマが描かれている。冒頭こそグルメリポーターが出てきて「うまい! 本場だとこれが○○円! 安すぎでしょ!」だなんて言っているが、これは巨大マグロと闘う漁師たちの闘いの記録、骨太のドキュメンタリーなのだ。

日本人が最も好きな魚であるマグロには、地方や漁師によってさまざまな漁の方法がある。イメージとしては大型漁船でマグロの大群を一気に網に追い込む様子が思い浮かぶが、この作品を観てみるとかなり地味。ソナーでマグロを見つけるとその先頭に船を走らせ、エサとなるイカで一本釣りにするのだ。つまり、釣れるのは最初の一隻だけ。運も技術もいる。釣った後も大変で、弱って水面に上がってきたマグロのいる海に電気ショックを与える機械を投げ入れて気絶させる。ボクシングの死闘の最後にいきなり銃を持ち出した気分…。しかし、これがマグロと漁師の生きるか死ぬかの勝負なのだ。

7人の漁師の個性は実に豊かで、それぞれに人生がにじむ。「マグロがいるかいないかの問題で、いれば釣れる」と豪語する天才漁師。沖縄からマグロの本場・大間に乗り込み、イカを使わずルアー(疑似餌)で勝負を懸ける。独自のテグス巻上げ機を考案し、大間で革命を起こしたこの男の次には、漁師だった父の背中を見て学校の先生を辞め、漁師になった27歳の美女が出てくる。4人目は、誰もやらないダンブという浮きを使った“ダンブ漁”の使い手である一匹オオカミ。彼は段ボールいっぱいのノートに記録された過去の実績を頼りに、“記憶より記録”をモットーにした漁を行う。

妻に先立たれ、二人の娘を男手一つで育てる漁師もいる。使い物にならない旧型ソナー、エサはイカの代わりに安いイワシ、ソナーの代わりに魚に群がる海鳥を探す姿に男の生き様が投影される。一方で、4人の子どもと奥さんのお腹にいる赤ちゃんを養う、人生が懸かりまくった若き漁師もいて、素直にエールを送りたくなる。最後に登場するのは最長老85歳の漁師。あるのは老朽化した船とソナーだけ。妻より先には逝けないと、独自の仕掛けを武器にマグロに挑む。愛妻が作った握り飯を片手に海を行く姿が泣ける。

「老人と海」の終盤、サメに食われていくカジキを見て、老人はこう思う。「人間は殺されることはある、だが負けることはない」と。洋上という名のリングで闘い続ける7人の“あしたの漁”。果たして、巨大マグロを釣り上げたのは誰だ!?

竹之内円(ライター)

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2018.03.26

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第87弾!!
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第87弾!! 映画とTVドラマの見比べで、戦後最大の誘拐事件の真実に迫る!

“戦後最大の誘拐事件”と称される吉展(よしのぶ)ちゃん事件を描いた映画「一万三千人の容疑者」(’66)の冒頭に目を見張った。当時の東映社長・大川博の名前で、次の文が表記されるのだ。

「この映画は日本中を恐怖と
不安のどん底におとしいれた
ある誘拐事件を取扱った
ものです。
あれから一年——
私たちは当時の全国民的
な怒りと悲しみを想起し
あのような痛ましい事件
が二度と起きないよう深い
祈りをこめてこの映画を
作りました」

東京・台東区で吉展ちゃん(当時4歳)が誘拐されたのが’63年で、犯人・小原保が犯行を自供し、吉展ちゃんの遺体が発見されたのが’65年7月。主任刑事・堀隆次による同名手記をもとに、関川秀雄監督によって映画化されたのが’66年。さすがに国民の記憶に事件が生々しく残っているため、事件関係者はすべて偽名になっているが、この冒頭のメッセージにも表れている通り、当時の映画人の覚悟と志の高さに襟を正したくなる。と同時に、映画が社会の中心にあった時代の空気をまざまざと感じもする。

ただ、映画化を急いだあまり、事件の概要を描くだけにとどまってしまった側面も否めない。そこで13年後、本田靖春著のノンフィクション「誘拐」をもとに、犯人側の視点で事件の真相に迫ったのが恩地日出夫監督によるTVドラマ「戦後最大の誘拐-吉展ちゃん事件-」(’79)だ。映画に引き続き、主任刑事を芦田伸介、犯人の情婦を市原悦子が演じており、映画とTVドラマの両方を観ることで、事件がより立体的に浮かび上がってくる点が興味深い。

「戦後最大の誘拐-吉展ちゃん事件-」で最も衝撃的なのは、この誘拐事件が無計画な犯行だったということだ。借金の返済に窮していた小原(泉谷しげる)は、当時公開されていた黒澤明監督の「天国と地獄」のポスターを見て誘拐を思い付く。その後、公園で遊んでいた吉展ちゃんに声をかけて犯行に及ぶのだが、その時点では吉展ちゃんの名前も家庭環境も把握していなかった。連絡先を知ったのは後日、新聞に掲載された男児が行方不明になっていることを報じるニュースにて。そこから電話帳で自宅を調べ、身代金を要求する脅迫電話をかけている。当時の警察とマスコミの認識の甘さを実感する部分ではあるが、誘拐事件発覚以降、日本で初めての報道協定が結ばれる。警察とマスコミの情報開示のし烈な攻防戦は、誘拐事件を扱った横山秀夫原作の映画「64-ロクヨン-」(’16)[4月13日金12:30~他オンエア]でも詳しく描かれている。

また、「一万三千人の容疑者」の方では、吉展ちゃん事件を悲劇的な結末に招いた警察の初動捜査の不備が、苦い経験を得て改善されてきていることが確認できる。例えば、警視庁副総監拉致誘拐事件が起こる映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」(’98)で、青島刑事らが身代金の札の番号を控える場面が登場するが、これも吉展ちゃん事件の教訓を生かしてのことだ。

両作を観ると、吉展ちゃん事件が後世に与えた影響がいかに大きかったかが分かる。そして、「あの痛ましい事件が二度と起きないように」という人々の切なる願いは、こうした作品を通して今も受け継がれているのだ。

中山治美(映画ライター)

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2018.02.26

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第86弾!!
観る者の人生を変える超絶マスターピース、「愛のむきだし」が最長版で再降臨!

撮影から10年、’09年の初公開から9年――。「愛のむきだし」の衝撃は今も全く色あせていない。世界にその名を轟(とどろ)かせる鬼才・園子温を一躍ブレイクさせた伝説の傑作にして、熱狂的なカルト人気を誇る代表作。’09年のベルリン国際映画祭でカリガリ賞と国際批評家連盟賞を獲得、国内でもスマッシュヒットを飛ばして以降、彼は「冷たい熱帯魚」「恋の罪」「ヒミズ」と目覚ましい快進撃を遂げている。

お話は、現代社会の闇と人間の業(ごう)をメガ盛りに乗せて、全力で爆走する異色のボーイ・ミーツ・ガールだ。主人公は神父である父親との愛をこじらせ、クリスチャンにもかかわらず盗撮マニアになった男子高校生・ユウ(西島隆弘)。彼は、カート・コバーンとキリスト以外の男性をすべて嫌悪する女子高生ヨーコ(満島ひかり)に出会い、一目ぼれ。必死にこの運命の純愛を成就させようとするが、そこに新興宗教“ゼロ教会”の幹部を務める怪しげな女、コイケ(安藤サクラ)が現われる……。

劇場版は237分。そこに未公開シーンをふんだんに加えて再構成した約30分×全10話仕立て(計275分)が今回の「愛のむきだし 最長版 THE TV-SHOW」だ。劇場版は長尺を一気に見せるジェットコースタームービー的な怒涛(どとう)感が話題になったが、こちらは当初の脚本に忠実な構成。比較してみると、登場人物の背景がより詳しく掘り下げられている。劇場版が勢いやグルーヴ重視だとしたら、最長版はドラマ性重視。物語の奥行きを堪能させる完全アップデート版だ。

最もエピソードが追加されたのは、コイケにまつわるシーン。強圧的な父親(板尾創路)から性的に陵辱されて育ち、その反動で異常な攻撃性を発揮するようになった彼女。ユウもヨーコも親からの愛を満足に得られず、人格形成に歪みを生じさせた子どもだが、コイケが最も激しいネグレクト(児童虐待)の犠牲者だった。彼ら3人は実質的に“孤児”であり、家族の愛を代替する“つながり”を回復させることが人生の希求となる。これは園子温が「愛のむきだし」の前に撮った傑作「紀子の食卓」を受け継ぐもの。テーマ性を深く理解できるのが最長版の最大にして重要な特長だ。

当時まだ無名だったキャストは、今から振り返ると奇跡の豪華さ。ダンス・ポップグループ「AAA」の西島隆弘が、ユウ役をみずみずしく熱演。アクロバティックな盗撮パフォーマンスも華麗にこなし、往年の梶芽衣子のキャラクター“女囚さそり”を模した女装姿も披露する。そして、パンチラ…どころかパンツ丸出しで暴れ回るヨーコ役の満島ひかりの鮮烈さ。コイケを怪演する安藤サクラと共に、現在の彼女たちは邦画界をけん引する若手の大女優になった。

音楽の使い方も抜群だ。ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章、バレエ音楽として知られるラヴェルのボレロに加え、ゆらゆら帝国の名曲「空洞です」が心に刺さる。タランティーノばりの卓抜な構成力で、キム・ギドク顔負けの濃厚な情念を叩きつける、狂おしいほどに切迫したエモーション。未見の人は必ず体験してほしい。これは、観る者の人生を変える超絶のマスターピースなのだから。

森直人(映画評論家)

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2018.01.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第85弾!!
健さんの名演に中国全土が震えたアクション大作

皆さんはもう、ジョン・ウー監督の最新作「マンハント」(2月9日公開)をご覧になっただろうか。中国の人気俳優チャン・ハンユーふんする国際弁護士が殺人事件の容疑者に仕立て上げられ、それを福山雅治演じる敏腕刑事が追う。大阪を中心に全編日本ロケを敢行、白い鳩が舞い、スローモーションで二人のアクロバティックなガンアクションがさく裂! 全世界のファン待望の、ウー印の“活劇祭り”である。

ところで、昨年のヴェネチア国際映画祭の会見にて、ジョン・ウーは本作についてこう語った。「永遠の憧(あこが)れであり、偉大なる俳優、健さんにこの映画を捧げたい」。“健さん”とは無論、不世出の大スター・高倉健のこと。「マンハント」は、’76年に健さんが東映独立後に初主演した「君よ憤怒(ふんど)の河を渉れ」の再映画化なのだ。

西村寿行の同名ハードボイルド小説をもとにしたこのリベンジ・アクション大作で、健さんは、変死した代議士を他殺の線で単独捜査していた折に突如、強盗傷害容疑で連行されるエリート検事の役。その検事を執拗に追うも、途中で彼の無実を知って手助けする刑事を原田芳雄が演じている(「マンハント」では福山雅治の役に該当)。監督は、東映時代から「荒野の渡世人」(’68)、「ゴルゴ13」(’73)、「新幹線大爆破」(’75)などで健さんとタッグを組んできた佐藤純彌。二人はほぼ同時期にフリーとなり、この「君よ憤怒の河を渉れ」の後には角川映画「野性の証明」(’78)も共にしている。

さらに本作は、大映の名物社長であった永田雅一が“永田プロダクション”を興して製作を担当、さらに(’71年末に倒産した大映の経営を引き受けた)徳間書店創業社長・徳間康快が製作協力に名を連ね、松竹が配給するという座組のもと、公開された。健さんは「新幹線大爆破」に続いて従来の任侠路線のイメージから脱却すべく、ワナにはめられ、無実の罪をかぶせられて、逃走しつつ真犯人を捜す役に入魂で身を投じている。

洋画のスケール感に対抗しようと、次から次へと主人公が窮地に陥り、(無理やりにでも…)見せ場が用意されており、その少々背伸びをしたエンターテイメント志向がいま観ると微笑ましい。(着ぐるみとわかってしまう…)熊に襲われるのはご愛嬌(あいきょう)だが、新宿の雑踏を無数の馬(こちらは本物!)が疾走する場面には度肝を抜かれ、潜入した精神病院で患者衣を身に付け、黒幕を追い詰めるため“一芝居”打って出るシーンでは「健さん、よくぞそこまで…」という名演を見せる。

さて、当時“イケイケ”だった徳間康快は、’78年10月、中国の8都市で「日本映画祭」を自費で開催し、本作も上映。選んだ作品は各地へと配給、一般公開もされた。中でも、本作は「追捕」のタイトルで“プロレタリア文化大革命”後、初の外国映画として公開され、エンターテイメントに飢えていた人々の心をつかみ、一大“高倉健ブーム”を巻き起こして国民的大ヒットにつながったのだ! 無論、ジョン・ウーの新作「マンハント」の原題も「追捕」。文化の伝播(でんぱ)とは、実に面白いものである。

轟夕起夫(映画評論家)

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2017.12.25

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第84弾!!
八甲田山の悲劇の真実を語り継ぐ意志に胸を打たれる

「天は我々を見放した」の名台詞で知られる映画「八甲田山」(’77年)は、今観ても、いや、今だからこそ余計に興奮する。

製作に映画「砂の器」の野村芳太郎監督、多くの黒澤明監督作を手がけた脚本家・橋本忍(脚本も兼任)、東宝の名プロデューサー・田中友幸が名を連ねる。撮影の木村大作、音楽の芥川也寸志のほか、「ハチ公物語」の神山征二郎が助監督、「理由(2004)」「この空の花 長岡花火物語」の加藤雄大が撮影助手時代に参加。そして、高倉健、北大路欣也、三國連太郎、緒形拳といった、絵面だけで十分重厚さが出る顔ぶれ。にもかかわらず、彼らが雪山をひたすら歩いているシーンをロングショットでとらえ、アップになっても暗くて顔の判別がつかないという、ぜいたく極まりない起用法がとられている。1シーン、1カットから撮影の苦労がにじみ出ている。実に3年の歳月をかけて本作に挑んだ彼らの“本気”に心震える思いだ。

なにせ彼らが挑んだのは、1902年に起こった登山史上最悪といわれる山岳遭難事故「八甲田雪中行軍遭難事件」。日露戦争開戦に備え陸路の確保をと、青森歩兵5連隊雪中行軍隊210名が青森から八甲田山麓の田代温泉へと向かったところ、悪天も重なり199名が犠牲になった。直立不動のまま凍って息絶えた兵士たちの姿はあまりにも衝撃的だ。原作は、長年同事故の取材をしていた地元紙記者・小笠原弧酒の著書などから小説を書き上げた新田次郎の「八甲田山死の彷徨」で、登場人物名は仮名、一部フィクションも加えられているという。そこで今一度、事故を検証しようと、2007年から実に7年の歳月をかけて関係者に取材し、制作されたのが「ドキュメンタリー八甲田山 世界最大の山岳遭難事故」である。

ドキュメンタリーとはいえ、当時の状況がドラマで再現されており、その撮影が相当、気合いが入っていることが映像から見て取れる。長時間吹雪にさらされ、俳優の衣裳に降り積もった雪の量は、過酷過ぎて脱走した俳優がいたといわれる映画版にも匹敵する迫力。吹雪シーンもCGを使わずに撮り上げ、凍傷になってしまったスタッフが続出したという。そこに、当時録音された生存者の証言テープや、専門家の状況説明が入る。行軍隊の199名の犠牲者に加え、遺体回収に向かった捜索隊からも692名の凍傷患者が出たことが、雪山の恐ろしさを強調して余りある。

映画では雪山で錯乱状態となって服を脱ぎ出す兵士も登場し、雪山登山の知識のない者にとっては何が起こっているのか分からないシーンがいくつかあるが、本作によると、人間は通常の体温から2℃下がっただけで意識の混乱が起き、−4℃で筋肉硬直、−5℃で心臓停止に至るという。いわゆる「低体温症」の症状。映画ではその低体温症を起こした人たちの姿が克明に描かれていたのだ。

ご存知のように、八甲田山は今や道路が整備され、車で訪問できるようになった。犠牲者は天からどんな思いで眺めているのだろうと、つい考えてしまう。だが、陸上自衛隊は当時の教訓を胸に、今も遭難ルートでの演習を続けているという。一方で、残念ながら、毎年のように雪山での遭難事故は絶えない。宮田聡監督は本作を制作した意図について、次のようなコメントを残している。「現代の登山においても有効な情報を伝えたい」と。襟を正して観たい、渾身(こんしん)のドキュメンタリーである。

中山治美(ライター)

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2017.11.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第83弾!!
野村芳太郎、市川崑。名監督の演出で「八つ墓村」を見比べよう!

映画ファンなら、「もし、この原作を○○監督と△△監督が撮ったらどう違うだろう?」と夢想することがあるだろう。名作「砂の器」の野村芳太郎と、「犬神家の一族」をはじめとする“金田一もの”を撮った市川崑という、日本映画界を代表する名監督二人が、同じ原作をもとに撮った作品。それが、横溝正史の「八つ墓村」。両監督の原作へのアプローチや演出スタイルの違いが浮き彫りになった、絶好の“見比べ作品”だ。

不幸な境遇で育った青年・寺田辰弥が、実は地方に住む権力者の非嫡出子とわかり、生まれ故郷へ戻ることに。その村は八つ墓村と呼ばれ、辰弥の父は二十数年前に村人32人を殺害し、行方不明となった田治見要蔵であった。そして、辰弥の周辺で次々と奇怪な殺人事件が起こり始め…。同じストーリーでありながら、かなり印象が異なる作品に仕上がっている野村版と市川版の「八つ墓村」。それでは、この2本の違いを“八つの墓”ポイントで楽しんでみよう!

●一の墓「作風」
 “金田一もの”と言うと閉鎖的な村や土着的なおどろおどろしさが代名詞だが、野村版はこれを一歩押し進めて、伝奇的な要素を持つホラー映画に仕立てている。終盤の鍾乳洞で辰弥が犯人に追われる様は、まるで「悪魔のいけにえ」のような狂気と恐怖にあふれている。一方の市川版は、「犬神家の一族」から「病院坂の首縊りの家」まで5本の金田一映画を撮っている監督だけに、加藤武演じる警部の「よぉし、わかった」などのお約束もキープ。ほとんどの映像化作品で割愛されてしまう辰弥の恋人的存在・里村典子が登場するなど、数ある「八つ墓村」の映像化作品の中で最も原作に近いと言えるだろう。

●二の墓「時代設定」
 市川版は原作通りと言える昭和24年の時代設定で、辰弥の職業は石鹸工場員と渋い。舞台となる八つ墓村にも田舎の因習が色濃く残されていて、“何かが起こる感”満載である。野村版は前年の’76年に公開された「犬神家の一族」と差別化を図りたかったのか、時代を思い切って現代(公開当時の70年代)に変更。辰弥の職業も空港の航空機誘導員というハイカラなものになっている。とはいえ着物姿の人物も多く、人が死ぬたびに「たたりだぁ~」と言い出すなど、現代人とは思えない迷信深さが特徴。

●三の墓「金田一耕助」
 「八つ墓村」の金田一耕助は、実はほかの作品に比べて影が薄い。というのも、原作は主人公である辰弥の一人称で書かれているため、出番そのものが少ないのだ。だが、市川版はそんなことは気にせず、金田一はあちこちに顔を出して活躍する。ヨレヨレの着物にぼさぼさの髪の毛という原作に近い金田一像を作り上げた市川監督ゆえ、豊川悦司の金田一もそれに準じている。ただ、豊川版金田一は早口でよくしゃべる。そして、歴代金田一の中でも異彩を放っているのが野村版。金田一を演じるのは“寅さん”こと渥美清! しかも、登場シーンは麦わら帽に白いシャツと、まるでカールおじさんのよう…。おっとりとした口調でおよそ探偵らしくないが、実は公開当時に横溝正史が「イメージ通り!」と絶賛コメントを残している。

●四の墓「落ち武者狩り」
 事件の原点となるのが、村に流れてきた8人の落ち武者を、欲に目がくらんだ村人が惨殺する400年前の事件(原作では落ち武者が財宝を隠し持っていたという設定がある)。市川版は雨の中で仮面をつけた村人が竹やりで突き殺していくという、ドラマティックさとリアリティを重視した演出。一方、野村版は祭りの席で落ち武者に毒を盛った酒を飲ませた上で襲う。村人の非道さを前面に出し、落ち武者の腹を割き、首を切り落とすなど、スプラッターホラー並みの凄惨な殺害シーンが展開! 見ものは、田中邦衛の切り落とされた首が飛んで村人に噛み付くシーン。もう完全に「死霊のはらわた」である…。

●五の墓「32人殺し! 山﨑努VS岸部一徳」
 CMで使われ、流行語になった「たたりじゃ、八つ墓のたたりじゃ!」が出てくるのが、逆上した要蔵が村人32人を次々と殺害していくシーン。要蔵を演じるのは、野村版=山﨑努、市川版=岸部一徳という両名優だが、その狂気じみた熱演は今も語り草となっている。頭に鬼の角のごとく2本の懐中電灯をさし、片手に日本刀、もう片手には猟銃を持ち、出会う村人を皆殺しにしていく。山﨑努は特殊メイクを施して鬼の形相となり、ここでも超絶スプラッターが展開。祝言の場に乗り込み皆殺し…一家だんらんに乗り込み寝ている赤ちゃんまで皆殺し…逃げる老婆を井戸に突き落として、とどめに猟銃一発…と、当時の子どもたちに深~いトラウマを残した。市川版も負けじと、斬られ、撃たれた村人から吹き出す血に並々ならぬこだわりを見せている。

●六の墓「双子の老婆 市原悦子VS岸田今日子」
 要蔵と並んで強烈なインパクトを残すのが、田治見家のご意見番である小竹と小梅という双子の老婆。小柄な老婆だが、圧倒的な存在感で田治見家を支配している。野村版では小竹=市原悦子と小梅=山口仁奈子が特殊メイクで同じ顔に見せていたが、市川版では岸田今日子が小竹と小梅の双方を演じ、特撮で同一画面に登場する。市原悦子と岸田今日子…このキャスティングだけでもう怖いのに、不気味な青白いメイクと奇怪な言動でトラウマ必至。特に岸田は声色や微妙な仕草の違いで二人を見事に演じ分け、本作を見終わったほとんどの人が「岸田今日子すげぇ…」と言ってしまうだろう。

●七の墓「謎解き」
 ミステリー最大の見どころといえば、やはり謎解き。大勢の関係者をなぜか崖などに集め、探偵が一つひとつの殺人について説明しながら「あなたが犯人ですね」と追及するのが常だが、「八つ墓村」はちょっと違う。謎解きの場に犯人がいないという、欠席裁判状態で進行するのだ。市川版は途中で場を移し、犯人を含めた状態で行われるが、野村版は犯人も辰弥もいない場で謎解きをしてしまう。で、そのころ、辰弥と犯人が何をしていたかは観てのお楽しみ!。

●八の墓「最後に…」
 前述の通り、「八つ墓村」の主人公は金田一ではなく辰弥。そのせいか、辰弥はときに名探偵と化す。田治見家の屋敷には地下の鍾乳洞につながる秘密の抜け道があるのだが、田治見家にやってきたばかりの辰弥がすぐに見付けてしまう。さらに市川版では、20数年間、誰も気付かなかった屏風の中の手がかりも辰弥が見つけ…。また、野村版の謎解きでは金田一が「犯人は○○です」と言うと、警官が「証拠はあるんですか?」と尋ねる。すると金田一は「そんなことよりも、この事件には犯人も知らない不思議な事実があるんですよ…」と別の話を展開。それでいいのか金田一耕助!

野村版はたたりをベースにしたスプラッター描写満載の伝奇ホラーミステリー。市川版は財産を狙った強欲な犯人と思わせながら、実は純愛ゆえの犯行だったという悲しいミステリー仕立て。同じ素材でも、シェフによってこれだけ違う料理になるという、まさに歴史的な見本。この2本、連続して観ることに意義があるのだ!

竹之内 円(ライター)

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2017.10.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第82弾!!
昭和のお茶の間を震撼させた史上最強のトラウマ映画!

「おいで、おいで、幼い娘。彼女はその朝、悪魔と旅に出た——」

愛らしい少女が突然、血を吐き、弓なりに体を折って激痛に苦悶(くもん)する。画面には不気味な惹句(じゃっく)が踊り、不穏な予感漂うタイトル「震える舌」が浮かぶ。そんな予告編だけで昭和のお茶の間を震撼させた本作は、今なお史上最強のトラウマ映画として名高い。

大型団地の脇にある草原で泥遊びに夢中になっていた少女・昌子が指先に小さなケガをした。その日から始まる奇妙な異変。食卓でスプーンを落とし、歩行が困難になり、言動に違和感が生じる。そしてある夜遅く、金切り声の悲鳴とともに全身が痙攣(けいれん)、舌を噛んで身悶(もだ)えし始めた。昌子は光や音の刺激で激しい発作を起こす、破傷風に侵されていたのだ。

致死率の高い病魔に魅入られた少女(子役の若命真裕子、体当たり怪演は圧巻!)は、暗幕で光を遮断した病室に隔離されるが、小児病棟の子どもたちの無邪気な笑い声が、汚れた服を着替えさせようとする親心が、予期せぬ血まみれの発作を誘発する。何度も繰り返される注射をはじめ、小さな体に容赦なく加えられる過酷な治療の描写も地味にダメージが大きい。

今ならレッドカード確実な衝撃映像のオンパレードから連想されるのはオカルト映画の古典「エクソシスト」だが、ここに悪魔を祓(はら)う頼もしい神父は登場しない。キリスト教に疎い日本人を「エクソシスト」が恐怖させたのはなぜか? 本作は、その答えを自然界の細菌がもたらす不条理な災厄、破傷風との壮絶な闘いに求めた。先の見えない闘病生活で、渡瀬恒彦と十朱幸代扮(ふん)する両親の平穏な日常は完全崩壊。真っ暗な病室のなかで疲弊し、神経をすり減らす彼らの心はジリジリと絶望に蝕(むしば)まれてゆく…。

原作は芥川賞作家で詩人の三木卓が、破傷風を患った愛娘をモチーフに書き上げた同名小説。監督は「砂の器」という名作を残す一方、「八つ墓村」や「鬼畜」など、映画史に残るトラウマ巨編を連発した野村芳太郎。数々の社会派サスペンスで底知れぬ情念の恐怖をすくいあげた名匠は、「原作を読んでこういう恐ろしさがあるのを知った。僕らが今描くべき恐怖映画だ」と感嘆したという。

脚本に井手雅人、撮影は川又昂、音楽には芥川也寸志と超一流のスタッフをそろえて、新しい恐怖映画を模索しつつ、極限下の人間の内面を生々しく掘り下げ、タフな噛み応えのあるドラマを克明に描き出す。ショッキングだが重厚な野村節が全編に詰まった「震える舌」。あのころ、怖くて仕方なかった“因縁の1本”にぜひ挑戦していただきたい。

山崎圭司(ライター)

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2017.9.25

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第81弾!!
面白ければなんでもアリ!? キョンシーの世界へ、ようこそ来来(いらっしゃいませ)!

失直立不動の硬直姿勢で両手を前に突き出し、重力を無視してピョンピョン飛び跳ね、額のお札をはがすと凶暴化して人間に襲いかかる―—。ゾンビに妖怪、吸血鬼をミックスした摩訶(まか)不思議なキャラクターで昭和ニッポンをお騒がせしたキョンシー。脳を破壊して倒す西洋ゾンビと違い、キョンシーとの戦いは呪いや法術をベースにワイヤーアクションで宙を舞い、カンフーの拳で語らうアジアンテイスト。コワいけれどほっこりとユーモラス。まさに珍味で新鮮な魅力だった。

劇場で大ヒットした香港産キョンシー映画「霊幻道士」の後を追い、台湾から登場した「幽幻道士」シリーズは、TBSの「月曜ロードショー」で放送されて高視聴率をマーク。お茶の間からキョンシー人気に火をつけ、スピンオフである本作「来来! キョンシーズ」が製作された。日本でキョンシーというと、本家よりもこちらを連想するファンも多く、ブームの起爆剤とする声も根強い。特にファンのラブコールに応え、TBS資本で作られた「来来~」は、キョンシー作品の面白さのツボをギュッと凝縮した濃いめの仕上がり。ほど良いコワさと痛快アクション、コテコテの笑いが合体し、キッズ層を中心に熱い支持を集めた名番組だ。

キョンシーと並ぶ「来来~」の代名詞といえば、おしゃまでしっかり者の天才美少女道士テンテン! その愛らしさに淡い恋心を抱く男子が続出し、「天誅(てんちゅう)!」の決め台詞でキョンシーを迎え討つ凛々(りり)しさに女子も拍手喝采。あのころ、テンテンは間違いなく教室の人気者だった。演じるシャドウ・リュウは日本のCMやバラエティ番組にも出演し、中学3年間を日本で過ごしたので日本語もペラペラ。しかも、実際に霊感が強く、私生活で何度もコワい体験をしているのだとか……。

そんなシャドウ演じるテンテンを軸に、イタズラ大好きベビーキョンシー&カンフー名手のチビクロ、身軽なトンボ、食いしん坊の太っちょスイカ頭のお騒がせトリオも元気いっぱい大活躍! 放送当時は子ども向け作品のイメージが強かったが、「来来~」ではチビクロがキョンシーになったり、愉快な愛されキャラが“まさかの最期”を迎えたりと、かなり波乱万丈。「エッ?」とのけぞるワイルドな展開も昭和のTVドラマならではだ。

さらに、闇の法術を操る悪のコウモリ道士や、風の谷の仙人ジジ助など、怪しげな新キャラも登場。最強の攻撃力を誇る秘密兵器バンボロキョンシー、凶悪なキングキョンシー、テンテンの仲間となる海賊キョンシーに、巨大な蛸壺を着たおかしな特殊霊魂・蛸壺フィフィーも入り乱れ、“面白ければなんでもアリ!”なキョンシーワールドを盛り上げる。

そして、忘れちゃならないのが、ハチャメチャなアドリブ満載の日本語吹替。自信過剰が玉にキズな正義の道士・浩雲(こううん)を、ジャッキー・チェンの声でおなじみの石丸博也が担当。オリジナルではマジメな2枚目である道士役にひょうきんな味わいを与え、さらにはアクション中や口を閉じていても“勝手に”喋り続けるなど、超絶(暴走?)アドリブは神業レベルだ! ほかにも、「ドラゴンボール」シリーズで亀仙人を演じた宮内幸平、「北斗の拳」のラオウ役の内海賢二ら、吹替ファンにはたまらない豪華レジェンド声優陣が大集結。従来のイメージを覆す(?)喋りっぱなしの超絶ハイテンション演技でノンストップの笑いをふりまく。

ちなみに、日本語版の演出は、後に「NIGHT HEAD」を大ヒットさせる飯田譲治監督が手がけ、得意のシュールなギャグを連発。なぜか耳から離れない不思議ソング「キョンシー!!!」は、松本隆作詞&細野晴臣作曲というから豪華さもここに極まれり!

30年前にキョンシーごっこに夢中になったオールドファンも、これがキョンシー初“遭遇”のビギナーさんも、一度観たらクセになるキョンシーの世界へ、ようこそ来来(いらっしゃいませ)!

山崎圭司(映画ライター)

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2017.08.24

ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第80弾!!
座頭市vs.用心棒、さらにはジミー・ウォング!? 破格のエンターテイナーが理想とした“観客へのおもてなし”

没後20年である。そうか、もう20年も経つのか…。この原稿を書きながら、’97年6月24日、築地本願寺で営まれた希代のアクター・勝新太郎の葬儀に参列し、霊前で手を合わせたことを思い出していた。

その2年前、ある企画でご本人にインタビューさせていただく機会があった。ご存知の通り、数え切れぬほどの豪快伝説、仰天エピソードで知られる大スターだが、筆者も一端に触れる貴重な体験をした。取材中にもかかわらず、「うまいぞ」とラーメンを出前してもらい、ビールのテキーラ割り(!)をいただき、さらに生ギターと生唄のおもてなし…。霊前ではこの時の歓待のお礼の言葉も添えていた。

失礼。いささか個人的な話が過ぎた。映画・チャンネルNECOの「勝新太郎没後20年」企画である。放送されるのは「座頭市と用心棒」「座頭市あばれ火祭り」(共に’70)、「新座頭市 破れ!唐人剣」(’71)、「座頭市御用旅」(’72)、すなわちシリーズ第20作から23作目までの4本だ。

盲目にして居合抜きの達人、日本映画が世界に誇る“異形のヒーロー”と勝新太郎が初めて出会ったのは’62年のこと。以来、映画はシリーズ計26本を発表し、舞台やTVドラマでも演じてライフワークとした。

シリーズを重ねるごとに、市の必殺剣の強さは超人化していったのだが、それと共に闘う相手にも創意工夫が凝らされていく。’67年、勝プロダクションを設立、製作も兼任した勝新太郎はいっそうサービス精神を発揮する。「座頭市と用心棒」では“世界のミフネ”との夢の頂上対決を実現させ、「座頭市あばれ火祭り」では盲目の悪の将軍・闇公方と偏執狂的な浪人役にそれぞれ森雅之、仲代達矢という二大名優を配し、勝プロ好みの型破りで荒唐無稽かつ劇画チックな一大花火を打ち上げた。そして、「新座頭市 破れ!唐人剣」では香港の大スター、当時カンフーブームをけん引していたジミー・ウォングを日本に招き、映画で異種格闘技戦を開催!! すべては“観客へのおもてなし”の精神がなせるワザなのだった。

もちろん、見せ場はアクションだけではない。「座頭市御用旅」で頑固な老十手持ちにふんした国宝級のパフォーマー、森繁久彌とはお得意の“即興芝居”で意気投合。後に二人は対談でも互いに心酔し合い、こんなやりとりを。「セリフは頭で覚えるのではなく、飲め」「本当はクソにして出しちゃえ」「全部、捨てちゃえ、セリフ。そうすると、グーっと引いてね、おまえさんの全身が撮れる」(文春文庫「泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集」)。

それまでも段取り芝居を嫌い、時には脚本を反故(ほご)にし、セリフやシチェーションを現場で練り直してゆく作業をいとわなかった勝新太郎。そのラディカルな姿勢は「座頭市御用旅」の次に自ら監督した「新座頭市物語 折れた杖」(’72)(映画・チャンネルNECOで10月に放送!)でさく裂する。ライフワークにしていた「座頭市」シリーズには、この破格のエンターテイナーが理想とした“観客へのおもてなし”、演技の“硬と軟”の両方を極めていった軌跡がしかと刻まれている。

轟夕起夫(映画評論家)

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