コラム

役者(前篇)

 9月の東京・新橋演舞場公演に続いて、10月28日から名古屋・中日劇場で舟木一夫特別公演「―ぶらり信兵衛爆笑ばなし―いろは長屋の用心棒」(&シアターコンサート)がスタート。来年2月1日からは、大阪・新歌舞伎座で特別公演「花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記」(&シアターコンサート)が行われる。間もなく迎える"70歳"を挟んで半年間に3回の1か月座長公演をこなすことになる舟木。今回は、俳優としても円熟した演技を見せる「役者・舟木一夫」について綴ってみたい。まずは前編から―。


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■10歳の時に見た時代劇映画に感動■

役者・舟木を語る際、少年・上田成幸(本名)と時代劇の出合いから始めなければならない。"舟友"と言われる舟木ファンには今更という話になるが、舟木の父・栄吉は若いころに六代目・尾上菊五郎に憧れて歌舞伎役者を目指したこともある芸好きで、戦後は舟木の生まれ故郷である愛知県一宮市萩原町にあった萩原劇場を買い取り小屋主として経営。劇場のすぐ隣の住まいで、成幸少年は4、5歳のころから若い衆に「ワカ」「ボン」と呼ばれて育った。劇場の奈落には道具部屋があって、十手や刀、槍を持ち出しては花道で見栄を切ったり、近所の子供たちとチャンバラごっこをしたりしていた。
劇場はやがて映画館に衣替えし時代劇や娯楽映画を上映するようになるが、成幸少年は栄吉の顔で他の映画館もフリーパス。そのうち時代劇にはまり、中でも中村錦之助(のちの萬屋錦之介)、東千代之介、大友柳太朗らが出演した東映(京都撮影所)の「新諸国物語 笛吹童子」(監督・萩原遼、1954=昭和29=年4月公開)、やはり中村錦之助主演の「新諸国物語 紅孔雀」(監督・同、1954年12月~55年1月公開)が強烈に印象に残った。前者は週替わりの3部作、後者も週替わりの5部作で、1作の上映時間が50数分という映画。舟木はこの時の感動から、将来は時代劇映画の役者になりたいと素直に思ったという。

■"俳優"としての一歩は「高校三年生」■

その思いが舞台の時代劇役者として現実化し、初座長公演(1966=昭和41=年10月、大阪・新歌舞伎座)で「雨月道成寺」と「若君風流」を演じることになる話は後に譲ることとし、まずは俳優・役者としての舟木について順を追ってみてみよう―。
 舟木が初めて映画に出演するのは、1963(昭和38)年6月5日に出したデビュー曲「高校三年生」が大ヒットして間もなく、大映から日本コロムビアとホリプロに「『高校三年生』を是非映画化したい」という申し入れがあったのがきっかけ。9月上旬に故郷の一宮市などで撮影して、11月16日に全国公開するという異例のスピード展開だった。劇中、舟木(役名は船田)がプールに落とされそうになるシーンでは10回近いNGを出した。先生役の高橋昌也から「あわてることはない。本番のためにテストがあるんだから」と慰められたが、あとでラッシュを見た時、舟木は「俺の芝居は学芸会か!?」と思ったという。
 2曲目の「修学旅行」も映画化される予定だったが、大映上層部の最終決定が遅れたため、しびれを切らしたホリプロの堀威夫社長が日活に話を持ち込んだところ、当時プロデューサーだった水の江滝子が舟木3曲目の「学園広場」を映画化することで即決。以降、舟木の映画は日活でシリーズ化されることになった。この辺りの運不運は面白い。

■初めての演技の台本に「直した方がいい」■

舞台で演技っぽいことをしたのは、やはりデビューした年の12月5日から27日まで、東京・新宿コマ劇場で行われた「ホリプロダクション青春パレード"花咲く学園"」でラグビー部員を演じたのが初めて。この公演中には公演以外のことで様々なことがあった。始めて翌日の6日、夜の部を終えて日本テレビで正月番組の収録中に日本レコード大賞・新人賞受賞の知らせが届き、9日にはNHKから大河ドラマ「赤穂浪士」に矢頭右衛門七役で出演することが決まったという連絡があった。新宿コマ劇場の公演が終了するとすぐ、NHK紅白歌合戦のリハーサルに臨むという慌ただしさだった。
 実は、舟木はこの公演に際して、のちの「役者・舟木」の片鱗を見せつける行動を起こしている。事前に台本を読んだ舟木がホリプロの担当マネジャーに「この台本はひどすぎます。こんな実のない舞台はつまらないと思います。大御所の先生の名前になっているけど、お弟子さんか誰かが代筆したとしか思えません。ゲネプロ(通し稽古)までに直してもらったほうがいいですよ」と進言したのだ。たまたま後ろにいた演出家がそのやり取りを聞いていて、「舟木君、きちんとやるから...」となだめたという。今でも脚本の出来不出来で芝居の善し悪しが決まるという舟木らしいエピソードだ。

■"原点"になった長谷川一夫との出会い■

詩人・西條八十との出会いが「歌手・舟木」に大きな影響を与えたように、「役者・舟木」の"原点"になったのは大映の看板俳優だった長谷川一夫との出会いだと思う。「花の生涯」に続く第2弾のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」は大物映画スターとしては初めてテレビに出演することになった長谷川一夫、デビュー半年後という最短コースで紅白歌合戦に出場した舟木一夫の"2人の一夫"というPR効果も手伝って、平均視聴率は31.9%、舟木初登場の日は50.5%、吉良を討ち取った日は53.0%の最高視聴率をマークした。53.0%という数字は大河ドラマ史上未だに破られていない。
 長谷川との橋渡し役をしたのが、堀田隼人役で出演していた当時21歳の林与一。長谷川は林を付き人として大事に扱っており、林に「あの子(舟木)、時代劇は初めてのようだから、困ってたら教えてあげてや」と声をかけてくれたのがきっかけで、その後も化粧法などを教わることになる。ある時、東京宝塚劇場の楽屋を訪ね、長谷川が鏡に向かって化粧をする姿を後ろでじっと"見学"したことがあったが、長谷川が楽屋から出た後、弟子から「先生はどんな方でも『顔を作るから、ごめんね』と言って出て行ってもらうんですが...」と聞かされ、絶対にしてはいけないことをしてしまったと悔やみ、勉強した。

■1966年は「役者・舟木」の本格的幕開け■

舞台役者として本格的に演じ始めたのは、東京オリンピック直前の1964(昭和39)年9月17日から23日まで、初めて日劇で行った「舟木一夫ショー」。期間は1週間だったが、1日3公演という時代だから1か月公演に近い回数だった。第一部の芝居では大河ドラマ「赤穂浪士」での矢頭右衛門七をそのまま舞台に再現しようと派手な立ち回りを演じたか思えば、踊りの名取直伝のしっとりとした日舞も披露。歌謡ショーでは"学生服からの脱皮"をはかって着物、セーター、タキシードなどの衣裳で登場、新しい舟木一夫を見せることに成功し、劇場の動員新記録を達成した。
 2年後の1966年は「役者・舟木」が花開く年といってもいい。NHKでは大河ドラマ「源義経」の平敦盛役で再び登場。放送前に「敦盛は絶対死なせないで」という要望が殺到、首を切られて戦死すると2倍以上の抗議が寄せられた。また、民放では1月に日本テレビ系の連続ドラマ「山のかなたに」にテレビ初出演の松原智恵子らと出演、5月にフジテレビ系の「銭形平次」、8月には再度、松原らと日本テレビ系の「雨の中に消えて」で共演した。いずれも高視聴率で、テレビドラマの"顔"にもなったといえる。初来日のザ・ビートルズの武道館公演とガチンコのショーを東京・サンケイホールで開いたのもこの年だった。

■映画「絶唱」がNo.1、そして初座長公演へ■

1966年で最も注目しなければならないのは、和泉雅子と好演した日活映画「絶唱」と、葉山葉子と共演した大阪・新歌舞伎座の初座長公演。とりわけ「絶唱」は俳優・舟木の真骨頂を発揮した映画といえる。自分にぴったりの映画と考えていた舟木は自ら日活に企画を持ち込んだが、小林旭&浅丘ルリ子で失敗していた日活側は「こんな暗い映画は当たらない」と拒否。「入りが悪かったら、次回作はノーギャラでやります」という舟木の熱意でGOサインが出たわけだが、「絶唱」はこの年の日活映画の配収1位作品に輝き、急きょ作った主題歌「絶唱」も大ヒットして日本レコード大賞・歌唱賞を受賞した。
 初座長公演は10月1日から28日まで。昼の部は安藤鶴夫作の「雨月道成寺」とヒットパレード、夜の部は村上元三作の「若君風流」とヒットパレードで、15日から昼夜を入れ替える形をとった。前売り券発売前日の昼ごろから窓口前に"徹夜組"が並び始めたが、折からの台風が接近してきたため、急きょ1階ロビーを開放して270人のファンと係員が一緒に徹夜するという騒動になった。相手役は当初「絶唱」で名コンビぶりを発揮した和泉雅子の予定だったが、和泉のマネジャーが舟木の相手役より和泉の主演映画を優先したため、"メロドラマの女王"と呼ばれた葉山葉子に白羽の矢が立つことになった。

■葉山葉子とは再来年で"共演50周年"■

和泉のピンチヒッターという出会いだったが、葉山葉子とはその後も舟木と同じ舞台に立ち続けることになり、今回の中日劇場公演、来年2月の新歌舞伎座公演でも長谷川稀世らとともに共演する。舟木が考える娯楽時代劇の骨法(礼儀・作法)を踏まえて演じてくれる座組(舟木組)の重要なメンバーの1人でもある葉山について、舟木は「ハコちゃんは芸能界の幼馴染。若い人との距離感をカバーしてくれる人で、主役より半歩下がって後ろに控えながら、それでいて存在感を示す行儀のいい女優さん」と高く評価する。そんなコンビも再来年で"共演50周年"になる。
 葉山に舟木について聞いたことがある。こんなふうに答えてくれた。「初めての共演の時、20歳の私も大阪は初舞台でした。白塗りも初めてなうえ、昼夜で演目が違っていましたから大変でした。何年かご一緒させていただいているうちに、舟木さんは時代劇にものすごくお詳しくいらして、何とかの映画というとパッパッパッと出演者の名前が出て来るし、カツラや衣裳、小道具のことなど本当によくご存じなんです。私たち役者のほうが恥ずかしいくらいなんですが、こういう時はどういう衣裳ですかと相談すると、ちゃんと答えてくださるので助かっているんですよ」


※ 次回、「役者(後篇)」は、11月20日(木)頃の掲載を予定しています。

バックナンバー

最終回
まとめ
役者(後篇)
役者(前篇)
BIG3(後編)
BIG3(前篇)
新曲(後篇)
新曲(前篇)
はじめに