コラム

新曲(後篇)

日本コロムビアから6月18日に発売された

「眠らない青春」も含めた"新曲"について、

もう少し書いてみようと思っているが、

その前に「舟木一夫と歌」について、ちょっとだけ触れておきたい。

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■歌とお客さまは「命」そのもの!!■


 「舟木一夫オン・ザロード2014」のインタビューの冒頭、「舟木一夫にとって歌とは?」と聞かれた舟木は、即座に「命そのもの」と答えている。映像を見た読売新聞の担当記者は「その姿にはふだんから見せる誠実さよりも、穏やかな中に迫力を感じた」と新聞に書いた。実は、数年前に私が「舟木さんにとってお客さまとは?」と聞いた際、舟木は「声と同じくらい命なんでしょうね。絞り込むと、声とお客さましかない」と答えている。その時も同じ「命」をいう言葉を使ったが、今回のような迫力は感じなかった。
 数年前に感じなかった「迫力」を今、感じるのは何なのか。単純に時間の経過ということでは説得力がない。二つのインタビューの間に芸能生活50周年を終えたということが極めて大きいと思う。そして、その50周年の本当の"重さ"は舟木自身にしか分からないもので、今、その"重さ"を乗り越え52年目をひたすら走り続けている舟木にはこれまで見たことがない落ち着いた安堵感があり、漲る自信がある。自信と安堵感こそが迫力を産む源泉になっているに違いない。そう確信するのは私だけだろうか。
 また、舟木は「オン・ザロード2014」のインタビューで「歌は天職」とも話したが、かつて、次のように語っている。「濃尾平野のど真ん中にいた少年が、大した苦労もしないまま、偶然に偶然が重なって歌い手の道に入った。運命論者じゃないけれど、やはり歌を歌うためにこの世に出て来たのかなぁって思う。"寒い時代"にも歌から離れたことはなく、歌は歌っていた。ほかのことが出来ないんでしょう、多分。歌を歌える声がなくなったら、そこですべて終わるんでしょうね」―と。
 ともに御三家、四天王などと呼ばれた橋幸夫、西郷輝彦、三田明も長い旅の途中にはそれぞれの迷い、挫折があり、ある時は実業(ビジネス)の世界に飛び込んだり、俳優・役者の世界にのめり込んで行った時期もあったが、舟木だけは一度として歌の道からはずれたことはなかった。ほかのことが出来ないというのは舟木流の謙遜で、映画俳優、舞台役者としても立派にやっていけるのに、「歌があっての芝居」というスタンスを変えることはなかった。

 
 
■全精力を傾けた「浮世まかせ」■


 ところで、新曲で思い出すのは芸能生活50周年の新曲をどうするかという時期のことだ。舟木にも「50周年記念曲はどうされますか?」と何回となく尋ねた。そして、私は舟木自身か本名・上田成幸の名前で作詞・作曲するのが既定事実のように考えていたので、50周年が近づいてきたある時、「こんな感じの曲を作りたいというのは固まりましたか」という質問をしてみたところ、舟木が即座に「僕が作ることはありません!」と答えたその答え方が強く印象に残っている。驚いたといってもいい。
 その理由として、舟木はこんなふうに話していた。「40周年の時に『浮世まかせ/ありがとうもさようならも』(2002=平成14=年5月。作詞・作曲は上田成幸)を作りましね。あれには僕自身全精力を傾けたんです。あるいは10年早く作り過ぎたのかもしれません。50周年記念曲にふさわしい内容でもありますからね。だから今は、もうあれ以上のものは出来ないと思っているんです」。そう言われて、改めて「浮世まかせ」を聴いてみて、舟木の話が納得できた。それほどの名曲なのだ。
 同じころ、作曲家の船村徹にインタビューする機会があった。その際、舟木の50周年の話になった。船村は「記念曲は出来てるの?」と聞いてきたので、私は「まだ決まっていないようです」と答えたら、船村はこう言った。「あなたね、舟木君に会う機会があったら『僕が作るからって』伝えておいてよ」。船村は"寒い時代"の舟木に「歌をやめるんだって。僕が君のために作った『夕笛』は誰が歌ってくれるんだい」と電話をかけ、舟木を奮起させた人生の恩師でもある。私は自分のことのように有難いと思った。
 結局、この話は実現せず、2011(平成23)年の夏、舟木がスケジュールのメモを取りながら何気なく見ていたテレビから流れてきた三波春夫の「明日咲くつぼみに」(作詞・永六輔、作曲・久米大作)を聴いて「これだ!」と思い、50周年記念曲になった経緯がある。三波の特別番組だったが、4小節あたりでメモを取るのも忘れて聴き入ってしまったという。声の響きだけで淡々と歌うことが要求される曲で、自分とお客さんとの応援歌にもなっている―。舟木が決めた理由だった。

 

■「舟木一夫=青春」へのこだわり■


 それから2年半ぶりの新曲を「眠らない青春」に決めた理由については、前回、述べたが、やはり"青春"という言葉へのこだわりが相当あったように思う。「眠らない青春」の商品説明には確か、次のような売り文句があったように思う。70歳を迎えても「青春」の言葉が使えるのは舟木一夫だけの特権だ、と。BIG3(舟木、西郷、三田)のコンサートの楽屋で舟木と雑談していた時も、この"青春=特権"の話が出て、「青春は舟木一夫の特権らしいからね」と苦笑いしていたが、納得して受け入れているようでもあった。
 実は、私自身も2年半前に夕刊フジで連載していた「歌い続けて50年♪ 舟木一夫の青春賛歌」の反響が大きくて出版化する話になった際、「もっと一般的なタイトルにしたほうが売れますから直しましょう」という編集者に対して、私は「"青春"という言葉を入れないのなら、出版化するのはやめましょう」とつっぱねた。それだけ、舟木=青春にこだわりがあった。現在も、この本を買っていただいている舟木ファンの間では、「青春賛歌」で通っている。
 というわけで、今回の新曲を決める前提として、歌詞に舟木自身の気持ちが素直に出ている曲で、今のステージの戦力にも成り得て、しかもタイトルに「青春」が入っている曲―を選んだのではないかというふうに推測している。舟木に「そんなにこだわったわけじゃないよ」と言われてしまえばそれまでだが、お客さんの反応を見ていると、やはり結果的であったにせよ、「青春」という言葉が持つ響きが52年目の舟木にぴったりはまっていたのではないかと思う。

 

■発声方法を変えながらの歌唱■


 最初に、自信と安堵感という話をしたが、そのことが何よりも「声」に表れている。舟木自身、今年のコンサートで「昨年から声の調子がすごくいい」といったトークをしばしばしている。ここに2010(平成22)年12月25日に東京・新橋演舞場で行われたシアターコンサートのパンフレットがある。この中のスペシャルインタビューで体調管理のことが話題になって、舟木が「そんなこんなをぼちぼちお客さまにお伝えしていかないといけないと思っているんです」と答えているクダリがある。あと何年...とか言い始めたころだ。ここで発声方法の話もしている。面白いので、その部分を抜粋してみる。
「(発声は)この3年で2回変えています。4年ほど前の1月に新宿コマ劇場でコンサートをやった時に初めて自覚症状がありました。初日に声帯が硬くなってきているということで公演中に声帯に余計な負担をかけないように発声を変えたんです。3、4年もつと思ったら、去年の冬にもう1回。今の所、お客さまには『歌のキレが良くなった』と感じられるかもしれません。もともとストレートボールの歌い手だからコントロールできるんでしょうね。50周年の前にもう1回来るんじゃないですかね」
50周年の前に来たのか後に来たのかは舟木に確かめていないが、声の調子が良くなったというトークの内容を聞いていると、ここ2年くらいの内に発声方法を変えて歌っているのは間違いなさそうだ。しかも、1か月公演のシアターコンサートでは昼夜で7割くらいは構成を変え、「哀愁の夜」や「高原のお嬢さん」「その人は昔」など何曲かは「55周年まで自分を甘やかしちゃいけない」と自分自身に言い聞かせ、あえてキーを半音上げて負荷をかけて歌っているのだから、これはもう恐れ入りましたとしか言いようがない。

 

■次の"新曲"はブルーストーン!?■


 「オン・ザロード2014」ではまだ放映されていないが、前回のコラムでも書いたように、舟木はインタビューに「歌の世界に入った原点に立ち返って、向こう3年かけてブルースの匂いがする歌を5曲ぐらい出せればいいなと考えている。お客さまは今ならそういう思いも許してくれるかもしれない」と答えている。3年間に5曲というのは、かなり具体的な数字で、舟木の中では相当煮詰まっているように感じた。次の新曲はブルーストーンか。舟木ファンの期待が集まる。インタビューの詳細は「オン・ザロード2014」の総集編で放映される予定のようなので、舟木一夫とブルースについては、改めて書かせていただくことにしたい。

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まとめ
役者(後篇)
役者(前篇)
BIG3(後編)
BIG3(前篇)
新曲(後篇)
新曲(前篇)
はじめに